2011年9月13日火曜日

小田原ロードショーによせて

小田原映画祭で招待上映される
『はい! もしもし、大塚薬局ですが』
の勝又監督から届いた、
小田原映画祭へのメッセージです。
全文をそのままご覧ください。
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「小田原ロードショーによせて」

神奈川県南足柄市。僕の故郷です。
電車はおろか、バスでさえも一時間に数本の小さな小さな町。
僕はここで思春期を過ごし、たくさんの葛藤や劣等感を抱えながらも、いっちょまえに恋なんてのもしました。
そんな僕に「映画」を教えてくれたのは、当時の僕にとっては都会の存在であった小田原でした。
今はなき映画館「オリオン座」へ毎週のように通い、たくさんの映画を見ました。深作欣二も、タランティーノも、スピルバーグも、スタローンも、岩井俊二も、今村昌平も全てオリオン座に教えてもらったのです。
当時19歳の僕はそのときになぜか決意したのです。
南足柄で映画を撮ろう!と。
この風景を残したい、この風景を記録したい。
そして、この風景の中で繰り広げるおとぎ話の作者になりたい。そんな気持ちでいっぱいでした。
当時の遊び仲間であった地元連中をキャストに僕は映画(とは言えないような代物)をたくさん撮りました。
どれもこれもが、思春期の少年と少女の話でした。そして映画の修行の為、故郷を離れ映像制作業に就くも理想と現実の挟間を見事に体感し数ヶ月で退社。それでも、諦める事なく自主制作映画を撮り続けました。
そんな最中、僕にとっても嬉しいニュースが舞い込みました。
「小田原で映画祭が開催される!」
僕にとって応募しない理由などどこにもありませんでした。
ショートフィルムコンテストにて三回連続で入選、その度に地元へ帰るという行為は、本当に嬉しいものでした。
「映画祭を開催する」それはそれはとても大変な事です。
そして続ける、という事は想像を絶する苦労を要します。
近年稀に見る大不況が日本を襲い、全国の映画祭がこぞって開催を中止するなかこの小田原映画祭は市民の皆様の協力を経て、こうして開催を続けて頂いています。
それは僕にとって本当に有り難い事です。
人一倍思い入れがある映画祭だからこそ、「お疲れ様でした」ではなく「ありがとうございます」と感謝をお伝えしたいと思います。
そしてそんな小田原映画祭において、僕の作品がこうして招待された事に感慨深いものがあります。
ショートフィルムコンテストで三回連続入選したにも関わらず、グランプリを逃していたにも関わらずです(苦笑)。
映画を撮り始めて10年。継続は力なり。
小田原映画祭とともに。今も映画を作っています。どれもこれもが、思春期の少年と少女の話です。
そして、これからも、どれもこれもが、思春期の少年と少女の話を撮り続けます。
故郷の風景と共に。また、一つ夢が叶いました。ありがとうございます。

『はい!もしもし、大塚薬局ですが』  監督 勝又悠

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